2019年8月18日、世界が注目したFISグラススキー世界選手権最終日、SGL。一本勝負のSGL種目において、小さなミスも許されないことは当然のことながら、優勝して8冠を獲得するならリスクを冒してでも最速でなければならない。
世界屈指の難コースで知られるスイス・マーバッハエッグスキー場のグラススキー特設コースでは、コース中盤の右外脚が大きく落ち込んだ後の左外脚のターンにかけて、大きな地形の盛り上がりがあり、スピードを落とさずに乗り越えなければならない。手前の右外脚ターンでリスクを冒して「インベタ」で攻めればスピードが落ちないかもしれないが、ターンが窮屈になり大きく減速して丘を登ることになってしまう。もちろんこのレースでそれは詰んだことになる。
前田選手は、そんなコーチの余計な想像をはるかに超えたハイリスクのラインをノーミスでクリアし、約1カ月に及んだJr世界選手権と世界選手権の全日程を終え、その全てに優勝し、世界史上初の8冠女王となった。グラススキーを始めて11シーズン目の快挙だった。
矢のように流れる時間のなかで、日本代表選手としてナショナルチームの合宿生活ではたくさん勉強させてもらえた。そして大きなけがなどのアクシデントもなくアルペンスキーWCのSL開幕戦、LEVIを迎える。直前のタイムレースではすでに実績のある選手たちよりも速いタイムを連発し、「ジャイアントキリング」があるのではないか、と期待もあったが、WC本番でいきなり大活躍とはならず、そこから苦難のシーズンが始まる。
振り返れば練習は順調だったし、ベースアップは確認できたが、レースでの意気込みはなにかボタンを掛け違えてしまったかのように、2月の中旬まではWC以外でも満足なレースは少ないまま、レースシーズンが終了。
もちろん、そのようななかでも素晴らしい出来事もあった。イタリアで行なわれたFISレースで2連勝を挙げた。
要するに、「WC初出場のシーズンは何もかも不慣れで、一生懸命にやったけどもうまくいかなかった」。それだけのことである。
実のところ、「初物に弱い」ことについては、彼女の人生を振り返っても思い当たる節はいくつもある。現在8冠女王にまでなったグラススキーでの初めての海外戦では、レースの前にクラッシュして、顔の半分から出血するなど、後のレースに影響が残る苦難の大会だった。初物に苦労するのは今に始まったことではない。
3月からの残りのシーズンは多くの発見と実践により、今後の活躍を目指すのに十分な実力を蓄えたに違いない。元々「1年で2シーズン上達」しながらここまで来た前田選手に伝えたいことはただ一つ「もうだいじょうぶだ!」
まえだちさき●1998年生まれ、長野県塩尻市出身。松本大学在学中。今季は全日本スキーチームに所属し日本代表選手としてFISアルペンスキーWCを転戦、大きな一歩を踏み出した。グラススキーでは世界選手権とジュニア世界選手権通算合計22個の金メダルを獲得。今季は世界史上初となる同一シーズン8冠女王となった。アルペンスキーとグラススキー両方からナショナル強化指定を受けて活躍中。アルペンスキーではFIS通算24勝。2019FEC種目総合優勝でWC出場権利を獲得。2019FISJr世界選手権日本代表。リレハンメルユースオリンピック日本代表
「日本人史上初」。今まで何度となくこの言葉を入力し、そのたびに最高の喜びを覚えたのが新谷選手の15年間の国際舞台での活躍だ。FISが管轄する多くの種目で日本人の活躍は簡単ではない。グラススキーも例外ではなく、日本人の活躍など考えられないところから挑戦が始まった。
初挑戦は2000年、地元徳島でのJr世界選手権。ここで生涯初めて外国人スキーヤーと出会う。もちろん順位は着外だ。
2005年、Jr世界選手権の銅メダルで世界挑戦への意識が生まれ、翌年に女子選手として初めて単身ヨーロッパを転戦した。
FIS初優勝は2005年、日本の天元台。そこから通算48回の優勝の記録につながる。WC初優勝は2009年。ハイレベルなFISレースでの優勝が続いていたわりに、WCでの優勝には時間がかかり、やっとの思いで優勝した記憶がある。
2007年のチェコ世界選手権では銀メダルを獲得していたのだが、世界選手権の初タイトルは、それから6年後の2013年、日本での2つの金メダル獲得まで時間を要した。
その後、世界最強となった日本人選手たちの育成やグラススキーの普及活動をライフワークとしたことから、ヨーロッパでの活動は縮小せざるを得なかったが、近年は周囲の期待に応える形で世界選手権への挑戦を続けた。最後の世界選手権となった2019年のスイス大会でもGSで銅メダル獲得など、最後まで輝き続け、ヨーロッパでも新聞紙面を飾ることなどもあり、称賛された。
技術的には身体の2本の軸をパラレルに幅広く使うタイプで、速いときは速いが、途中棄権も多かった。現役時代に得意としなかった運動特性を向上できるプログラムを提供できれば、もっとオールマイティーな動作で勝率を上げられたのではないかと思うと、コーチとしても後悔がある。
数々の栄冠の影でもっとも悔やまれたのは、新谷選手が生涯で一度だけWCのシーズン全戦に挑戦した2010年の最終戦最終種目のSPSL4本目(最後の1本)。無難に滑りきれば、東洋人として初めての総合優勝。クリスタルトロフィーを手にすることができたその一本。世界中が見守るなか、無情にもコースアウト。WC総合は準優勝となった。
いつかもう一度WC総合優勝に挑戦することを夢見ていたが、それは叶わず一旦グラススキー選手としてのキャリアに別れを告げる。だが、世界のフィールドは新谷起世選手の復帰を願っている。
しんたにゆきよ●1985年生まれ、徳島県美馬市出身。(有)ダイチ所属。アルペンスキーでは全国学生岩岳スキー大会で3年連続2冠達成。2008年から2020年まで全日本スキー技術選手権に連続して出場。グラススキーの戦績は左のとおり、現在は四季を通じてスキー、グラススキーのカリスマコーチとして活躍中
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